真言宗の焼香回数が他宗派と違ってる!本当の焼香作法がわかる
こんばんは。
『葬送人だより』ブログ管理人kandumeでございます。
昨日も今日も火葬の件数は、多かったですね。
この暑さは高齢者には耐えられませんからね。
火葬が終わり収骨の部屋に集まるご遺族の人の中で、年輩の方でも初めてという人結構います。
年輩の方でも、収骨が初めてというのですから、増してや30~40代の人は初めての連続と思います。
そこで、あなたに質問ですが、あなたは、お焼香の作法など正式に習ったことはありますか?
今まで宗教に熱心ではなかったので、「お焼香の作法(仕方)を知りません」という方がほとんどです。
そこで今日は、火葬場で働くkandumeが真言宗の焼香の仕方をご案内いたします。
まず、最初は真言宗の総本山といわれるものから説明していきましょう。
真言宗は3つの宗派に別れる
金剛峰寺(和歌山県)を総本山とする高野山真言宗
金剛峰寺(和歌山県)
金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。
世界遺産にふさわしい感動の連続があなたを魅了します。
特に襖絵は日本文化の象徴であることを再認識させられます。
また、石庭の蟠龍庭は寄せる波に心洗われる感動があり、拝観する価値が300%あります。
約5000坪の広さの中に、石は京都の「白川砂」で、岩は四国の「青花崗岩」を用いて造られています。
壮観な和風庭園は、見るものすべてにおいて雄大で一度は参拝していただきたいお寺さんです。
大本山が大覚寺(京都府)である真言宗大覚寺派
大覚寺(京都府)
大覚寺は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。
当初は嵯峨天皇の離宮として造られ、後に上皇、法皇の寺院となりました。
御殿の中は、貴族の雅な雰囲気が漂っています。
境内の東に広がる大沢池は、中国の洞庭湖を模してつくられたといわれています。
約1キロの周囲には桜が植えられ、池水にその姿をうつす風情はなんとも穏やかでした。
ここ大覚寺に参拝すれば、今でも古代平安朝の幽微さが伺えるような時が流れています。
善通寺(香川)を総本山とした真言宗善通寺派
善通寺(香川)
善通寺は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。
空海生誕の地。
想像以上に凄く大きいと感じる真言宗のお寺さんです。
弘法大師堂近辺にある、子宝観音、子授け石が有名です。
五重の塔も立派でした。
真言宗の焼香の仕方
真言宗の焼香の回数の動画をお借りしました。
- 祭壇に進みご遺族に一礼します
- 遺影に向かって一礼します
- 親指、人差し指、中指で抹香を摘まみます
額の高さで押しいただきます(3回) - 遺影に向かって合掌します
- 一歩下がって、遺影に一礼します
お焼香の作法に出てくる、「おしいただく」という表現に戸惑いましたので、詳しく調べてみましたら・・・。
おしいただく【押し頂く・押頂く】
- 物を目より高くささげて持つ。また、うやうやしい態度で物を受け取る。
「御墨付きの文書を-・く」- 目上の人として敬い仕える。「会長に-・く」
引用元: コトバンク
他の宗派のお焼香は、1~2回の焼香ですが、真言宗の焼香の回数は3回と定められています。
3回行う意味には、仏法僧に対し敬う気持ちを表現していると言われます。
そして、自らにひそむ3つの煩悩である「貪欲」「瞋恚」「愚癡」の三毒を消し去るためとも言われてます。
葬儀で参列者の数が多い時は、時間を短縮するため、焼香は1回のみとなることもあります。
その場合は、係りの指示に従ってもらえば大丈夫です。
真言宗とは
このデータは、文化庁の平成26年12月31日の「宗教統計調査結果」によります。
日本最大の宗派は、浄土真宗で、真言宗は3位。
- 高野山真言宗 383万人
真言宗は、平安時代初期に弘法大師空海が広めた仏教です。
774年に讃岐国(現在の香川県)で地方豪族の子として生まれ、835年、高野山で亡くなるまで空海は人々に仏教を広めました。
弘法大師と言えば、諺(ことわざ)にもなった有名な人です。
「弘法も筆の誤り」
「習字がとても上手な弘法大師=空海でも、字を書きまちがえることがある」
という意味です。
弘法大師空海は、人間が生まれもった姿のまま悟りの境地に達し、宇宙の真理を究めて大日如来と一体化することで、生きながらにして仏の道を開くことができる、すなわち即身成仏(この身のままで仏になるという)が可能であると説き、真言密教を大成させました。
その教えは多くの弟子へと受け継がれ、多数の宗派へと分かれていきながら、今現代に至っています。
まとめ
真言宗のお焼香は、抹香を摘まんで3回、香炭に振りかけます。
基本的には3回ですが、葬儀などで人が多い時は、1回に省略されることも許されます。
宗派の作法に拘り過ぎて、葬儀に参列しないなどといったことは、故人が一番悲しむことだと思います。
宗教的な儀式ですので、その場をうまく纏めるというのも仏教文化の大事なところです。
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