葬式をやる意味とは?葬儀に参列して部下の前で恥をかかないために
こんにちは。
『葬送人だより』ブログ管理人kandumeでございます。
「言わなくていいことを言ってしまった」
「あんな言い方をしなくてもよかったなぁ・・・」
と、葬式をやる意味について後悔したことありませんか?
ブログ管理人kandumeは、火葬斎場での業務中にはいろいろな遺族の方々と遭遇します。
2~3日前にお亡くなりになって、悲しみに打ちひしがれて、最後のお別れの火葬場までやっと辿りつく人。
人生の終焉の場です。とても言葉にできないほど、意味がある火葬場です。
病気で苦しんだ人、社会的地位を背負っていた人、お医者さんだった人、家族や孫に付き添われて斎場に来る人、生活保護を受けていた人・・・
すべての人が棺桶から遺骨になって仏様になっていく場所です。
「葬式をやる意味がわからない」とか「お葬式をしない」などという、お葬式批判の感情は火葬場では消えてなくなります。
実際に葬儀や火葬場で故人と直面されれば、葬式の意味が分かります。
故人のためでもあり、残された遺族ためでもあり、社会のためでもあり、故人が生きた証でもあり、葬式の意味について火葬人からの考えを記事にしてみました。
お葬式をやる意味とは?
火葬場に遺族によって運ばれる棺桶は、最後のお見送り20秒ほどでお別れとなります。
棺に縋って泣く娘さん、後ろで数珠を握りしめる男性、生あるものは必ず滅びるという場面です。
ご遺族の方、ご親戚の人、友人、知人、普段は直面することがない他人を通じての死の体験です。
火葬が終わり、収骨の部屋に集まってくるご遺族の中には、高齢者の方も多く変わり果てた故人の姿に、無口になってしまうほどです。
やがて、自分もこうなると襲ってくる死への恐怖感とともに、わが身を知ることになります。
人の死を悼んで人々が集まり営まれる葬式は、集まる人々にいのちの大切さを教えることになります。
さらに、生あるものは必ず滅びいく存在であることを見届けさせているのです。
そうすることで、体験的に生の大切さを知り、死はいきることへの刺激となっていきます。
つい先日も高齢者のご遺族の収骨室での会話です。
74歳という「おばあさん」でした。
故人との関係は姉妹で80歳のお姉さんという。
「最後の最後までお世話になったので、遺骨を拾ってあげたい」
と。
車椅子ながら、係の人にお願いして、骨壷に遺骨を納めて帰られました。
このお姉さんを知っている多くの人々の、心の中に生きているということです。
kandumeは宗教家でも僧侶でもありませんので、難しいことはわかりません。
ただ、家族・社会という意味において、必要なことは人間の死に対する「礼儀」なのではと思っています。
それが、葬式という形になっていると思います。
葬儀費用の金額という意味ではありません。
「お葬式をしない」といった人の意見もあるので聞いてみました。
「お葬式をしない」という意見
葬式仏教という言葉をご存知でしょうか?
普段から熱心な仏教徒ではなく、お葬式のときだけ仏教を信じるといった人への皮肉を込めて用いられる「葬式仏教」。
葬式の意味がわかっていないからではなく、「お葬式をしない」という言葉の前に、隠されているものがあります。
それは、
- 「派手な」
巨額な出費を抑えて、残された人に経済面で困らせたくない - 「無意味な」
頭から葬式を無意味と捉えている人 - 「無駄なお金を使う」
価値観の違いを自分のメジャーで計ろうとしていて、周りの自由さを奪っています。 - 「長い葬儀」
葬式の時間が長すぎるので無駄と考える人 - 「仏教徒でないから」
仏教徒でないから、お葬式はしません。 - 「他人に迷惑をかけたくない」
社会儀礼的なものは省きたいという考え
本当はお葬式を全くしないと言っているのではなく、その前に上記のような言葉が省かれています。
お葬式をしたくないと発言している人は、今あるお葬式そのものを否定しているのではありません。
現在、行われているお葬式が自分たちの考えるお葬式とは違っているということです。
お葬式という儀礼は、社会的には「死者を死者として認める」ということです。
死を告知する意味に加えて、死者の尊厳を社会的に承認することを意味しているのです。
つまり、
葬式の意味は、故人の死を惜しむという儀式です。
故人が生きた人生への尊厳であり、共感を寄せるという意味が葬式です。
お通夜の意味についてもわかりやすく記事にしていますので、時間が許せばクリックを。
葬式はあと後の心の支え
仏教では極楽または地獄に行くと教えられます。
キリスト教では、善き人は神の元で永遠の安息を得ると考えます。
神道では先祖と一緒になって家を守る神様になるとしています。
どのような宗教であっても、また無宗教の葬式であっても、「親しく付き合っていた大切な人を送り出すために行うこと」という意味では同じです。
また葬式というのは、単純に「亡くなった人のためだけに行うもの」ではありません。
「遺された人が、亡くなった人との思い出と向き合い、その死を少しずつ受け入れていくための儀式」ともいわれています。
ブログ管理人kandumeの伯母の話ですが、伯母の旦那が無くなったとき、豪華な葬式になりました。
伯母はお金持ちで、無くなった旦那の遺産があったようで、券婚式みたいなパーティー形式の葬儀が行われました。
伯母は若いころから無くなった旦那と二人で商売をしていて、旦那の死を受け入れるのは時間がかかったようです。
しかし、そのような状態であっても、「きちんと送り出すことができた」という事実があって、後々、悲しみが実感となって襲ってきたときに、心を支える手段となっていたようです。
悔いのない葬式には、遺された人のその後の人生にも関係あるのです。
kandumeに言わせれば、伯母にとっての葬式は二人の関係の深さを表現したかったのでしょうね。
葬儀の役割
葬儀の意味を深く探ってみましたが、葬儀の役割につても見てみたいと思います。
いままでは、感情的な部分からの説明でしたが、ここからは葬儀の事務的な役割からみていきましょう。
- 役所などの手続き
役所に提出する亡くなったという届、戸籍、相続などに関わる書類上の事務処理 - お体の処理
火葬にすることで腐敗等の汚染を防ぎ、土葬と違って水質の環境汚染をも防ぎます。 - 遺族の悲しみを和らげる
葬式によって多くの人にお悔やみの言葉をいただき救われる。 - 命の尊さ
いのちの大切さ、生あるものは必ず死ぬべき存在であることを知らしめる
ここまで、いろいろとお葬式の意味を書いてきましたが、最近のお葬式事情などもみてみましょう。
最近のお葬式事情
最近は、核家族化が進み、高齢化問題も加わり、お葬式の形態も大きく変わりました。
地域社会との繋がりもどんどん薄れていく中で、お葬式だけが昔のままで残るわけがありません。
一昔前には、新聞で「お悔やみ情報」といった欄がありましたが、現在は個人情報などの問題から、故人の住所などが明らかにされません。
新聞で大きく取り上げられた「社葬」などといった記事は、最近は少なくなっていますよね。
どちらかと言えば、誰にも知られず、静かに家族だけに見送って欲しいと願う人が増えているようですね。
「故人らしさ」「その人らしさ」を何らか表現する家族葬がその特徴のようです。
「お葬式は自分の死に際して、自分がこの世と別れるために行われるもの」、「自分らしく生きて、自分らしく死ぬ」という葬式のあり方まで、残して去るという考え方が広まってきています。
従来のお葬式の形態ではなく、自分たちなりの新しい様式をもとめる家族葬などが顕著となっています。
まとめ
お葬式をやる意味は、故人への「礼儀」ということです。
後々、きちんと送り出すことで、自分も救われるところがあります。
豪華な葬式をしなさいと言っているのではありません。
故人に「礼儀」をもって送ることが大切です。
会社でも部下の人に、葬儀の意味を「礼儀」という捉え方から説明してはいかがでしょう。
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