浄土真宗で焼香の仕方が違ってた!西と東の本願寺で違うもの

こんばんは。
『葬送人だより』ブログ管理人kandumeでございます。

いつも火葬業務に追われて、1日の火葬予定が終了するのがギリギリの5時。
この暑さのせいもあり、お亡くなりになる方が増えてますね。

火葬が終われば収骨という業務に移ります。
収骨では宗派の違いで、収骨は一人でするとか、いや二人で箸で摘まんでやるとかまちまちです。

棺を斎場にいれる段階から、「お焼香は1回で」とか、葬儀社の係りの人から指示がございます。
宗派は同じでも、焼香の作法が違う浄土真宗の西本願寺と東本願寺

火葬に携わるブログ管理人kandumeは、最初は意味がわかりませんでした。
入社後、2年3年と経過していく中で、概略を把握できるようになりました。
火葬場に来るお坊さんの顔と宗派が合致するようになったことと、葬儀社さんのワンポイントアドのお陰です。

いきなりですが、浄土真宗には西本願寺と東本願寺という寺のメッカとも言うべき立ち位置から説明していきましょう。
同じ浄土真宗という宗派で、呼び方もいろいろあって、最初に画像と場所で区分けしてからお焼香などの話題にしていきます。
 

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浄土真宗の西本願寺と東本願寺

西本願寺は浄土真宗本願寺派

【西本願寺】「お西さん」
浄土真宗,焼香

浄土真宗本願寺派の本山 龍谷山本願寺、通称西本願寺 創建1591年
住所:京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60

 

浄土真宗【西本願寺】焼香の仕方

浄土真宗(本願寺派)の焼香の回数の動画をお借りしました。

  • 浄土真宗(本願寺派)の焼香は1回
  • 額にいただかない(額の部分に持っていかない)

浄土真宗(本願寺派)は、焼香は額に持っていかないで1回とされています。

動画でもお分かりのように、一礼をしてから、お香を摘まんで香炭の上にそのまま落とします。

浄土真宗では「香をお供えする」という意味があります。

1回だけ香をつまんで、そのまま焼香をします。

 
浄土真宗(本願寺派)のお線香の場合は
(寝線香)
1本の線香を、2つや3つに折り、火を付けた後、線香を横に寝かせて供えます。
葬儀会場ではほとんど見かけません。
地域によっては、通夜に行うところもあるようです。

もし、お通夜に寝線香に遭遇されたときのために、大事なことを記します。
まず、1本の線香を香炉の大きさに合わせて、2つまたは3つに折ります。

線香は蝋燭の炎で火を付けた後、手であおいで火を消した後、横に寝かせて供えるようにします。
線香についた火の向きは、左向き、右向きのどちら向きに供えてもかまいません。

浄土真宗にはいろいろな宗派があります。
宗派よりもお坊さんの考えというのが影響力がつよいです。
 

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東本願寺は浄土真宗大谷派

【東本願寺】
浄土真宗,焼香

真宗大谷派の本山 真宗本廟、通称東本願寺 創建1602年
住所:京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地

 

浄土真宗【東本願寺】焼香の仕方

浄土真宗(本願寺派)の焼香の回数の動画をお借りしました。


お香は2度入れてください。

真宗大谷派(東本願寺)ではこのような作法で焼香します。

まず、仏前に進み、ご本尊を仰ぎ見ます。
一呼吸置くようにします。
この時は合掌はしなくても結構です。

焼香は2回です。
香盒(お香の入れ物)から右手でお香をつまんで香炉に入れてください。
その際に、つまんだ右手を額に当てることはしないでいいです。

入れ終わったら、乱れた香盒のお香を右手の指の平で均したあと合掌し、念仏を称えます。
乱れた香盒は、次の人が香盒に触れるときに嫌な思いをしないようにするためです。

合掌を解き、頭礼して席に戻ります。

お焼香の方法を言葉よりも動画で説明しましたが、同じ宗派でこうまで違うのかと思われたと思います。

ここまで違う浄土真宗、西本願寺と東本願寺を歴史などからどんな影響があったのかみていきましょう。

浄土真宗の歴史と開宗の親鸞とは

浄土真宗の宗祖とされる親鸞(1173年~1262年)は、鎌倉時代前半から中期の僧です。
承安3年1173年生まれ、弘長2年1262年没ということで90歳という長寿を全うしてます。

幼時に母を失い、9歳で出家
比叡山で20年間学んで修行。

親鸞は1201年、年京都の六角堂に100ヵ日の参籠に入り、法然の門弟となって、浄土教の教えを受けることに。

浄土宗の宗祖「法然」に師事したことを親鸞は、生涯の喜びとしたと言われます。
独自の寺院は持たず、簡素な念仏道場を設け教えを広めた親鸞。

宗旨として確立されのは、親鸞の没後と言われます。
後に開宗は、根本聖典を親鸞が著した1247年(寛元5年)とされました。

そして、親鸞の墓所だった「大谷廟堂」(現在の京都市東山区)を本山寺院「(大谷)本願寺」としました(1321年)。

浄土真宗と戦国時代

宗教と政治、戦国時代という時代背景の中で、浄土真宗という教えを広めて、戦国大名にも匹敵する当時の一大勢力に成長して行きました。

関ケ原の戦を経て、徳川の世となると強大な教団の力を削ぐ狙いもあってか、本願寺は豊臣秀吉の「西本願寺」と徳川家康の「東本願寺」に分立(1603年)し現在に至っています。

まとめ

浄土真宗、西本願寺、東本願寺の焼香の仕方が、西が1回東が2回と覚えましょう。

ただ、大切なのはお焼香は堂々と行うことが大事です。
作法は多少間違っても、軽々しくなるような動きはよくありません。

お焼香の際は、堂々と相手に心が伝わる作法で接しましょう。

大事なことは、お亡くなりになった故人に、哀悼の意が伝わればいいのです。

故人が安らかに旅立てる事を祈るようにします。

その時には、お世話になったときのこと、お目にかかれた事への感謝の気持ちが伝わればいいと思います。
 

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